外濠の石垣に刻印があるのはなぜ?【史跡のギモン】

外濠の石垣に刻印があるのはなぜ?【史跡のギモン】
外濠の石垣に刻印があるのはなぜ?【史跡のギモン】
ライター:安武 覚

こんにちは、都立大のヤスタケです。皆さんは外濠の「石垣」に注目したことはありますでしょうか。僕自身は非常に石垣好きなため、各地の城跡を訪れた際には必ずチェックしています。「江戸城」の史跡である外濠にも多くの石垣が現存していますが、これらをよく観察してみると石に印のようなものが刻まれていることがあるのが分かると思います。これは一体何なのか。今回はこの「石垣の刻印」についてご紹介していきます!

知っておきたい「天下普請」

「天下普請」とは

石垣の刻印の謎に迫る前に、まずは外濠の工事がどのように行われたか確認しておきたいと思います。江戸城に関連する土木工事の多くは、幕府が全国の大名たちに命じて造らせたものです。外濠の場合、寛永3年(1636年)に始まり、外様大名を中心とする113の藩に普請を命じています。こうした幕府の普請は、築城や道路整備、治水工事など多岐に渡っており、これらの工事のことを「天下普請」と呼びます。

なぜ天下普請を行うのか

天下普請を行う最大の目的は、当然江戸の町のインフラ整備です。しかしその背景には、諸大名を下請けとすることで幕府の権力を誇示できるとともに、各藩の蓄えを減らして勢力を削ぐ狙いもあったと言われています。一方で、大名たちにとってもデメリットばかりではなく、日本中の最新工事技術を直接目にすることができる絶好の機会でもありました。

「石垣の刻印」の正体

この天下普請で大規模な土木工事を行うとき、石垣等を組むのには大量の石材が必要となります。天然の石材は江戸近辺では取れないことから、その多くは伊豆半島等から遥々運搬していたそうです。これらの石材は大変貴重なものであるため、他藩に盗まれないように石に印を付けておく必要がありました。基本的にはそれぞれの石に所有者を示すシンボルマークが刻まれ、石によっては年号や番号なども確認できます。これが「石垣の刻印」の正体です。大名たちにとっては天下普請の仕事も “戦” だったことが伺えます。

終わりに

外濠の各所には、こうした築城の歴史の痕跡も残されているのです。この「石垣の刻印」は江戸城の他にも、同じく天下普請が行われた名古屋城や大阪城をはじめ、様々な石工職人が活躍していたという金沢城などでも見ることができます。また、伊豆半島には当時の石切場跡も残っており見学することができます。

皆さんも外濠や各地の城跡を訪れた際には、ぜひ「石垣の刻印」を探してみてはいかがでしょうか。きっと新しい発見になると思います!

参考

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