外濠と江戸幕府の天文台

外濠と江戸幕府の天文台
外濠と江戸幕府の天文台
ライター:今泉実里

こんにちは、東京理科大学の今泉です!  江戸時代の天文台について知っていますか? 今回は,天文月報(日本天文学会)の記事などから,特に外濠の周辺に設置されていた江戸時代の天文台について紹介します!

江戸に天文台が置かれた背景

葛飾北斎「鳥越の不二」(千葉市美術館所蔵)

江戸時代の天文台は天体観測それ自体が目的というわけではなく、実は、暦の編纂に役に立てることを主な目的として設置されていたのです。

862年から1685年までもの間、日本では中国からもたらされた太陰太陽暦の暦法である宣明暦が用いられていました。しかし、800年以上も使い続けられた暦は誤差を蓄積し、実際の天行よりも2日先行していました。

そこに渋川春海という人物が現れ、自身で行った天体観測の結果を元に中国との経度差も考慮した暦を作成し、改暦の必要性を主張したのです。 渋川春海を中心とした人々の尽力の末、その暦(貞享暦)が朝廷に採用され、日本初の国産の暦となりました。その後渋川春海はその功績をもって初代幕府天文方に任じられました(1685年)。天文方とは、天体運行および暦の研究をする機関です。そして、その天文方の研究のために上図のような天文台が設置されたのです。

ちなみに渋川春海は、2012年に映画も公開された、 『天地明察』 (冲方丁/角川書店/2009年)の主人公でもありますね!

外濠周辺のデジタル標高地形図(地理院地図)
天文方(幕府)の天文台一覧(大谷『舊幕時代の天文臺の位置』を元にGoogleマイマップにて作成)

江戸幕府の天文台は、上の地図のように時代とともに江戸城周辺にて移転を繰り返してきました。そんな天文台の設置場所と地形図とを見比べると、江戸幕府の天文台は水辺沿いに多く、比較的高所にあり、見晴らしがよいところが好まれたと考えられます。外濠も水辺であることに変わりなく、外濠周辺にも天文台が設置されていました。

外濠周辺の天文台について

次では外濠周辺の天文台──上の地図でいうところの(1)牛込藁店、(3)神田駿河台、(5)神田佐久間町、(6)牛込光照寺門前、(8)九段坂上の五つの天文台について、立地とその設置経緯について紹介します。

牛込藁店(1685年)

牛込藁店の天文台がその近くにあったとされる東京物理学校の位置(Googleマイマップにて作成 )

牛込藁店の天文台は、幕府から天文方に任命された渋川春海が、1685年にまず手始めに設置したようです。
詳細な場所はわかりませんでしたが、

“常時天文台を牛込藁店(今の神楽坂上東京物理学校の後方ならん)に置きし”

和田雄二:『江戸の天文臺』/ 天文月報 / 第7巻12号(1915年3月号)

という記述を見つけました。そのため天文台は左の地図の、ピンで示したあたりにあったと考えられます。外濠のすぐそばですね。この天文月報の記事を正しいと仮定すると、暦編纂のはじまりは外濠と縁があったようです。

神田駿河台(1703年)

神田駿河台にあった天文台の立地(中村士『渋川春海の天文台』を元にGoogleマイマップにて作成)

1703年、渋川春海の転居と共に、天文台も神田川沿いのこの地に移されたようです。

神田佐久間町(1746年)

神田佐久間町にあった天文台の立地
大谷亮吉 『舊幕時代の天文臺の位置』より引用 )
神田佐久間町にあった天文台の立地(大谷亮吉『舊幕時代の天文臺の位置』 を元にGoogleマイマップにて作成)

渋川春海の死後、勢いをなくしていた天文方は、当時の将軍徳川吉宗によって、ふたたび勢いを盛り返します。徳川吉宗は天文暦学に大きな関心を抱いており、西洋天文学を導入した改暦を目指しました。その改暦の拠点として、1746年に佐久間町に天文台が設置されたのです。

そして、宝暦暦編纂の要務が済むと、将軍吉宗の死去によってふたたび天文方の勢いが衰えたこともあり、1757年、佐久間町の天文台は廃止されました。

左の地図のように、この天文台は現在のJR秋葉原駅の東側にあり、神田川のすぐそばだったようです。

牛込光照寺門前(1765年)

牛込光照寺門前 にあった天文台の立地
大谷亮吉『舊幕時代の天文臺の位置』 より引用 )
牛込光照寺門前にあった天文台の立地(大谷亮吉『舊幕時代の天文臺の位置』 を元にGoogleマイマップにて作成)

上記の佐久間町を拠点に行われた宝暦改暦からわずか6年、天文方は1763年9月の日食の予測に失敗してしまいました。そのため再び改暦を行う必要が生じ、1765年、幕府は牛込に新暦調御用所(天文屋敷)を設置したのです。

それから光照寺境内の大樹が観測に差し支えがあり、浅草に移転するまでの17年間使用されていました。

この天文台も外濠のすぐ近くに立地していました。現在の飯田橋駅と牛込神楽坂駅の間にあたります。

九段坂上(1842年)

九段坂上 にあった天文台の立地
大谷亮吉『舊幕時代の天文臺の位置』 より引用)
九段坂上にあった天文台の立地(大谷亮吉『舊幕時代の天文臺の位置』 を元にGoogleマイマップにて作成)

渋川景佑は、没した彼の父が作成した暦の理論が不透明だったため、それを作成するように幕府より命じられました。その際に使用されたのがこちらの天文台です。また、景佑は天文観測記録の作成も合わせて命じられており、ここでの観測結果を、『寛政暦書』など数多くの書物にまとめ残しています。

こちらの天文台は外濠というよりも内濠近くにありました。

おわりに

外濠の周辺は、水辺ということもあり見晴らしがよかったためか、このように天文台が設置されていました。この地で観測された結果をもとに暦の編纂は行われてきたのです。そんな風に江戸時代と天文台と暦とに思いを馳せながら外濠周辺を散策してみても楽しいかもしれません。

参考

山口県立萩美術館・浦上記念館:作品検索システム 絵本の世界 / 2021年7月23日参照
www.hum2.pref.yamaguchi.lg.jp/sk2/book/

国土地理院:地理院地図
地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

和田雄二:『江戸の天文臺』/ 天文月報 / 第7巻12号(1915年3月号)/ 公益財団法人日本天文学会 / 1915
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1914/pdf/191503.pdf

大谷亮吉: 『舊幕時代の天文臺の位置』/ 天文月報 / 第9巻11号(1917年2月号)/ 公益財団法人日本天文学会 / 1917
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1916/pdf/191702.pdf

中村士:『渋川春海の天文台』/ 天文月報 / 第102巻12号(2014年12月号)/ 公益財団法人日本天文学会 / 2014
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2014_107_12/107_760.pdf

国立天文台(NAOJ):『特集 日本の暦』 / 国立天文台ニュース / No.231(2012年10月1日号) / 2012
https://www.nao.ac.jp/contents/naoj-news/data/nao_news_0231.pdf

渡辺敏夫:『近世日本天文学史(下)ー観測技術史ー』/ 株式会社恒星社厚生閣 / 1987

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