こんにちは。法政大学の堀越です。
今回は現在は埋め立てられて、その水面を失ってしまった「飯田濠」について紹介します。
外濠の水面
江戸城外濠は江戸城の外郭を守る防御施設として江戸幕府によって整備された水堀です。約14kmに及ぶ江戸城外濠は防御施設であるとともに、江戸にとっては雄大な自然環境でもありました。しかし、都市の発達や戦後の復興によって貴重な水面が失われていくこととなりました。
現在では牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠、弁慶濠に水面が残されています。

飯田濠と神楽河岸
今回取り上げる「飯田濠」は外濠が神田川と合流する結節点にあったため、古くから荷揚場としての役割を担ってきました。この飯田濠を拠点として栄えたのが神楽河岸で、昭和の初期まで多くの船が係留されるなど積極的に利用されていたそうです。

上の図会は歌川広重によって描かれた牛込揚場町の様子です。
図会を見てみると舟運を利用する人々や濠側を向く建築物など描かれており、飯田濠は当時の人々の生活の一部であり、重要な場所であったことが伺えます。
・参考文献
高道昌志:外濠の近代 水都東京の再評価,法政大学出版局,2018
飯田濠再開発
では、そんな飯田濠はどのように埋め立てられていったのでしょうか?
埋め立ての背景
昭和40年代半ばになると高度経済成長の影響を受け、水質の汚濁が顕著になっていきました。この時期は、全国的にも水質問題のみならず、大気汚染、自然破壊、騒音・振動などの問題も日本各地で顕在化し、いわゆる公害問題が取り上げられるようになっていった時期でもあります。飯田濠でも水質汚濁により悪臭などの環境問題が発生し、埋め立てへの引き金となりました。
飯田濠埋め立てについては新聞でも取り上げられており、以下のような記事も見つかりました。
お堀を埋め立ててしまうことについて、「悪臭がひどければ、除去する処置をとればよい。樹木、水など都心部に残り少ない自然を残したら」との声もあったが、お堀わきを通る環状2号線の拡幅計画と関連して埋立てに踏み切った。
朝日新聞(朝刊)、『外堀を埋められる江戸城「飯田濠」をつぶして再開発 都議会で承認』、1971年12月24日
このように都心の貴重な緑を大切にしようという声が挙がる中、環境問題に対する解決策として都議会が埋め立てに踏み切ったことが分かります。
整備内容
飯田濠の再開発は、正式名称を「飯田橋第一種市街地再開発事業」として進められていきました。
当時、対象地の土地は大部分が公有部分を占めていることや都市計画道路の整備といった公共性が強い事業内容であったことから東京都が施行者となり、昭和53年に事業着手しました。
特に、交通緩和のための環状2号線拡幅,地下鉄とJRの連携,都市環境の改善などを課題として整備が進められ、昭和61年3月に完了しました。
施行区域は新宿区と千代田区の区境に位置しており、それぞれ新宿区が1.6ha,千代田区が0.7haの合計2.3haとなっています。ちなみに東京ドームの面積は約4.7haなので,東京ドームの約半分に相当する範囲が開発されていることとなります。
・参考文献
新宿区:まちづくり昨日・今日・明日 新宿区の市街地地再開発事業 令和2年度版,2020

反対する住民の声
これまで述べてきたように、都が中心となって再開発事業が進められてきましたが、地域の住民の中にはこの計画に反対する人々も一定数いました。
開発の計画が進む中、この計画に反対の立場を表明したのが飯田橋南の商店街で生業を営む若手経営者トリオが中心となって結成された「飯田濠を守る会」です。「守る会」では住民大会開催やパンフレットを製作、加えて、飯田橋町会と協力して4500人の署名を集めて都議会に請願書を提出(昭和53年 夏)するなど飯田濠を守るためな精力的な活動が進められてきました。
また、個人でも再揮発事業にかかる民間地権者として新宿区神楽河岸で材木業を営む大郷さんも事業への反対の立場を表明しました。大郷さんは計画の当初から「家業の材木商を営めない再開発業には協力できない」との立場を表明しており、美濃部都知事(当時)に対して意見書を出すなどしていました。
結果的に都は事業推進の立場を崩すことはありませんでしたが、大郷さんらの声を受けて、現在の埋め立て地には水辺や物揚場があったことがわかるような空間整備や看板の案内が設置されています。


・参考文献
朝日新聞(朝刊):「飯田濠復活し公園を」熱帯びる住民運動 都はビル計画変えず,1978年10月7日
朝日新聞(朝刊):地権者の一人が反対 飯田濠再開発大喜びの「守る会」 飯田濠再開発問題 1978.10.25
おわりに
今回は飯田濠の再開発について紹介しました。
水辺空間は一度埋めてしまえば元の姿に戻すことは非常に難しいと思います。だからこそ水辺空間の真価をしっかりと考えて手を加えて行く必要があると感じました。
みなさんも是非、水面があった当時の風景を想像しながら飯田濠周辺地域のをまちあるきをしてみてはいかがでしょうか!