外濠ヤギプロジェクト報告01[前編]:ヤギ研究家 塚原正也さんインタビュー

外濠ヤギプロジェクト報告01[前編]:ヤギ研究家 塚原正也さんインタビュー
外濠ヤギプロジェクト報告01[前編]:ヤギ研究家 塚原正也さんインタビュー
ライター:高道昌志

外濠市民塾では、2018年に「外濠四季絵巻2036」という絵を描きました。
これまでの活動を通じて、参加者の方々から募った外濠再生のイメージをまとめたものです。

この絵をすこしだけ拡大して見てみると、片隅にこんな提案が描かれています。

外濠でヤギを飼おう!

突拍子もない言葉に思えますが、ワークショップに参加してくれた高校生が提案してくれたアイディアです。

この意表を突いたアイディアをもっと深く掘り下げていくために、外濠市民塾では2018年から外濠ヤギチームを発足させ、自主的な活動を続けてきました。

 どうすれば外濠でヤギを飼える?

 ヤギが快適に過ごせる外濠の環境とは?

 外濠をみんな(地域)で飼ったらどうなる?

そんなことを考えていると、そこにはまったく新しい視界が開けることが分かってきました。
外濠の地形や植生、周辺の環境や景観、普段見慣れた街並みのなかに潜むポテンシャルを、ヤギの目線は私たちに教えてくれるはずです。

そんな外濠ヤギプロジェクトの活動の一端を知っていただければと思います。まずは今年の3月に実施した、ヤギ研究家・塚原さんへのインタビューを前後半に分けてご紹介します。

今回ご紹介する前半では、塚原さんのこれまでのヤギ遍歴についてお話を伺いました。
ヤギとともに歩んできたストーリー、ぜひご覧ください。

ヤギ研究家・塚原正也さんインタビュー(前編)
実施日 2021年3月28日
インタビュイー 塚原正也さん
インタビュアー 岩佐明彦、松下純子、本郷寛和、柳川星、栗生はるか、高道昌志

導入

 かつての日本には、ヤギの文化がものすごく大きな存在としてあったんです。日本人を底支えした大切な文化だったんです。「もうお乳が出ない、でもヤギのミルクがある」みたいなことで、生き延びた人たちもたくさんいました。

 日本でヤギの文化の存在感が薄れてしまった背景には、畜産において根本的な思い違いをしていたということがあります。というのは、そもそもこんな高温多湿の蚊のいっぱいいる地域で、ヨーロッパみたいな乳用種のヤギが育つわけがないんですね。だからミルクを搾ってチーズを作ったりしたいというのは、みんなうっすら思ったりするものなんですけど、それはちょっとあきらめていただかなければいけないというか。でもそこで全然めげてはいけないということです。日本人の生活文化において大切な存在だったヤギの可能性についてお話したいと思います。

北海道の農場で動物の生死に触れる

 僕はもともと農業にも畜産にも興味がなかったんですけど、北海道に移り住んだことがきっかけで農業を始めたんです。道庁の斡旋所のひとになぜか気に入られて、「君らならいける」という感じで、いきなり後継者候補として大きな農家に後継ぎとして入り込むことになりました。でも結局、一カ月半ぐらいでそこのお父さんが仕事中に亡くなってしまって。それで自分がなんとか農業を成り立たせるようにしなければいけないということで、近隣の農家さんあたりに全部聞きに回って、いろいろ教えてもらいました。そのおかげで結構いろいろな技術が身に付いていったわけです。

 だから、それがスタート。でも、もともとそういうことがやりたかったわけではなかったので、自分の理想を描いていた、もっといい環境を探して北海道を転々として、最終的には北海道の中心部にトムラウシという秘境みたいなところに住みました。国立公園になっている山の中なんですが、同じ新徳町内でも「あそこに行ったら仙人になる」と言われるところで、1キロ四方に誰も住んでいないみたいな環境です。

 そこで牛の牧場を手伝うことになって、それで初めて畜産に触れたわけです。メガファームだったので、一人で何千頭と見なければいけない牧場で、ときには獣医さんの助手として薬の判断を任されたりしながら、毎日のように牛が調子悪かったら治療するということをやっていたんです。そこで場数を踏んだという経験がすごくあったので、動物の生き死にや健康だとか、そういったことに過敏になってきてしまった。本来もうちょっと感覚が麻痺して、畜産に馴染んでいけばよかったんですけど、僕はもう、子牛が死ぬたびに泣いてましたから、だから全然畜産に向いてない。

ヤギの野性味に惹かれ、学び、満たされる日々

 そんなことを思ったときに、やっぱり本来やりたかった畑みたいなものやりたいと思って、家の裏のまったく誰も住んでいない原野みたいなところを開拓して畑を作ってみたんですが、そのころうっかり妻と離婚してしまいまして、それでもう居る場所がないということで、畜産も農業も全部捨てた上で神戸に戻ってきました。

 僕の出身は西宮といって神戸のちょっと隣なんですけど、神戸に知り合いがいたもので、なんとなく戻ってきてしまったわけなんです。そこから神戸にはすぐに溶け込まなかったというか、なんか自分の中でやっぱりやり遂げてないことがあるなと。

 北海道で最後に僕が目覚めたのは牛ではなくてヤギだったんです。やっぱり牛はでかすぎたんです。ホルスタインを肉牛として飼っていたんですけど、肉牛のホルスタインの去勢したオスは、それこそ肥育まで持っていくと出荷持に1トンを超えるんです。だから、そんな化け物を扱うのは、この体重50キロしかない僕には無理だと思って。

 それで、僕の体重は超えるかもしれないけど、まだ対等に扱えるヤギがいいのではないか。ましてや薬をやらなくても健康だと。牛はすごい工業的な家畜化が進み過ぎているので免疫に問題があって、だからどんどん薬をやっているんです。でも、ヤギに関していろいろ北海道で聞いて回ったら、どうもそのままでいけるらしいぞと。まあ、実際にはそんなことなくて、特にお乳を搾るヤギに関してはイベルメクチンという薬が絶対必要になってくるんですけど、それでもヤギのほうが野草で十分生きていけるということで、そこからヤギに夢中になっていきました。 

 こちらに帰ってきて、農業もやめたし、畜産もやめたし、ヤギのことなんか考えなくていいはずなのに、もう頭から離れないわけです。それで、居ても立っても居られなくなって、当時、長野県に家畜改良センター長野牧場という日本で唯一ヤギとウサギを研究している国立の研究所があるんですが、そこに泊まり込みで合宿みたいなのを勝手にやりました。お風呂もないので、花に水やる外のホースでシャワーを浴びるような生活です。

 それで、人工授精師という国家資格があるんですけど、牛の人工授精師だとたぶん食っていけるような資格なんですが、ヤギの人工授精師の資格はもうほとんど要らないんじゃないかというレベルなんですが、一応あったのでそこで結構勉強をしました。 僕は好んでやっていたのですごく楽しくて、分厚い教科書だろうが何だろうが全部おもしろい漫画のように読みあさって。ヤギのことが知りたいから、ひたすら毎日ヤギと触れ合いながら勉強しました。まあでも、資格自体は結局、1か月半ぐらい拘束されれば誰でも取れるものなんですけど、僕にとってはとにかく入り浸ってヤギに満たされる時間でした。

日本のヤギ文化と牧畜の難しさ

 でも、まだまだ自分の中で穴のある部分を埋めたいということで、次は京都の牧場に行きました。京都の山奥にヤギと有機野菜をやっている牧場がありまして、そこでときどき野菜のほうも手伝いながら、牧場の搾乳とほとんど一人でチーズ、ヨーグルトを作るという仕事をしていました。

 そこで、僕も未練があったミルクとその利用をいろいろ試してみたんです。確かにいいものもできたりするし、ヤギミルク自体悪いものではないんですけど、決して牛に勝てるものではないんです。やはり1日2リッターしか出ない生き物と、1日10リットル以上出る生き物とではやっぱり全然違うし、多くの日本人は牛のチーズとヤギのチーズを食べ比べたときに、ヤギのチーズは臭いと感じるんです。臭くないチーズの作り方ももちろんあるし、みんながみんな本当においしいヤギチーズを食べていないのではないかなということはあるんですけど、そんなのはちょっとマニアックな話なので、あこがれはあったけど、やっぱりこれは現実的ではないなと。

 それと、乳用種のヤギはもともとヨーロッパの冷たくて乾いた気候に合う動物なので、どうしても病気、蚊に弱いんです。厳密に言うと牛からヤギに感染してしまう線虫の病気なんですけど、それがまた致命的で、かかると下半身不随になって死んでしまうんです。そういう致命的な弱点を抱えていたから、日本の乳用種のヤギという文化がこれだけすたれてきてしまったのかなと。もちろん法律的に守られていないというのもあるんです。鳥とか豚とか牛なんかを畜産としてやれば、ちゃんとそれなりの補助金が出たりするんですけど、ヤギやヒツジ関しては出ない。そういうちょっと悲しい事情もありまして、ヤギという文化は急激にすたれたんです。

 戦中戦後ぐらいまではめちゃくちゃたくさんいたんです。でも、みんなもう忘れてしまったし、覚えている人も本当に少なくなってきています。以前はヤギのミルクで育ったというおっちゃんやおばちゃんは、いっぱいいたんですね。そうやってちょっとついえてきている文化の中で、じゃあヤギをどうしていったらいいんだろうというのが気になっています。僕にとっては悪あがきみたいなことなんですけど。

ヤギを飼う環境をつくること

 僕はそのあと、ヤギのことを知るためには敷地の管理を学ばなければいけないと思うようになりました。これまで畑、乳業をやってきたけど、実際に飼育するにあたって環境をどう整備をしていくかみたいなことですね。というのも、結局どこで働いたらヤギをもっと幸せにできるのかと考えたんですが、なかなか思い当たらなかったんですね。ヤギが幸せになるような場所が今の世の中はなかなかないんじゃないか。でもそのなかでもヤギを飼う環境をつくることに最も近いと思えたのが造園業でした。

 ところが、僕が行った造園屋さんは、自分が思い描いていたような庭師さんなどの世界ではなくて、もっと行政の造園という感じでした。僕が入って最初にやった仕事は水道局管轄の敷地で、普通の人は入らないような敷地です。そこで、敷地の除草なり剪定するなどで、毎年ものすごい予算がかけられているということを知ったんです。担当地区は神戸の西側半分なんですけど、それでも水道局の施設の草刈りの仕事だけで3,400万円の仕事をいきなり任せられました。全然やりたいことと違うと思った半面、そういう公の使われてないデッドスペースみたいなものが世の中には結構あるんだということがよく分かりました。結局、そのデッドスペースを今は、シルバー人材の人とかが草を刈っているのですが、年間にどれだけの予算を割いているのか調べてみたら結構な額になったりするので、それはもったいないと。

 またそれと同時に、ちょうどその頃、僕は寝たきりになったヤギとか、飼い主が手放してしまったヤギを預かることをやっていました。だからうちには常になんらかのヤギがいるという状態で、そういうこともあったので、ヤギを飼育できる土地が必要だなと思っていたのです。

 その少し前に、近所の友達の庭に暇だったからコンクリートを打っていたんですが、そこに「ちょっと違う、それは違うぞ」と言って入ってきたおっちゃんと仲良くなったんです。そのおっちゃんから、自分が管理している隣にある家に住まないかと言われて、ちょうどいいかなと思って住みますと言ったら、それが借りる話ではなくて買う話だった。

 ヤギの牧場って基本的にほとんどお金をもらえないんです。寮だし、食事は自社で栽培している米とか野菜とかがあるので、そういったものをいただけるから生きてはいけるんですけど、月に9万ぐらいしかもらえないから、僕はもう貯金を切り崩してしまって。まったく無一文の状態だったので、家を買うのはお断りしますと言いたかったんですけど、お金が全くないので無理ですって言うのは、さすがに気が引けるので断わる意味でも、これくらいなら借りてもなんとかなるだろうというくらいの金額を言ったんです。おっちゃんはきびしいなと言っていたのに、売主さんに言ったらそれが通ってしまって。それで結局、家と土地を買ったんです。分割にしてくれたんで、家賃5万円払っているうちに、いつの間にか自分の家になっているみたいなことなんですけど。

力強いヤギの生態が荒地を開拓する

 そんな感じで、無一文の山羊研究家が家を持つことになったんですけど、その家がラッキーだったのは家の周りに誰のものか分からないグレーな土地、おそらく東京の不動産屋さんが持っているけど管理してないというような土地があふれていたんですね。実は神戸はちょっとすたれてきていまして、不便なエリアは人が全然いないんです。どんどんおばあちゃんとかおじいちゃんだけになっていて、空き家と空き地が増えている。

 そういったところで、うちに来たヤギたちが頑張ってくれて、そういうエリアをどんどん開拓していってくれたんです。藪でぼうぼうで向こうが何なのかも見えないようなエリアも、ヤギを飼っていると、1年ぐらいでそこがだんだんひらけてくるわけです。

 当時、家の隣が畑だったんですけど、そこで畑をやっていたおっちゃんが末期がんだったんですが、自分がここまで育てた畑だから引き続きやってほしいみたいなことを言われたんです。断ることができなくて、耕したりするのを手伝っているうちに引き継ぐことになって、そのおっちゃんが死んでしまったあとも、その土地を借りたまま僕が畑をやっていたんです。そこの畑でハーブを育てて収穫して売りに行っていたんですよ、ファーマーズマーケットに。だからそういうなんか流されやすい体質なのですね。畑をしながらヤギも飼っているということで結構目立っていたのかもしれないですけど、神戸市もちょっと興味を持ったらしくて、市長がうちに来たいと言い出したこともありました。それからこっちでR不動産の人と仲がいいんですけど、その人らがまちづくり的なことをやっていて、「live+work」とか言いながら、神戸に移住して働きませんかということをやっているようです。そこで取り扱ってもらったりしていて、アーバンファーミングやパーマカルチャーといった文脈に結び付けられたりもしています。まあそんな感じで今ここにいるわけです。


都市での生存を可能にするヤギの環境適応力  

 そのヤギは結局、僕が死なせてしまって。もうそのことが本当につらくて、ヤギのことはちょっと遠ざかりたいなとも思ったりしていたんです。でも結局、全国からある程度ヤギの相談が寄せられてくるので、そういうことに答えるくらいならいいかなと思って、ここ1~2年ぐらいは過ごしてきたんです。

 そんなこんなでヤギのことをマニアックにやっているうちに、全国ヤギネットワークというヤギの団体があるんですけど、自分の中にある疑問なんかを、そういうところに聞きに行ったりしました。でもそういうところって基本的にみんな畜産が専門で、僕が思っていることとはちょっと違うわけです。例えば、今回のような「外濠でヤギを飼う」みたいな話って、そもそも日本に専門家はほぼいないんです。一応、除草ビジネスみたいなのがあるんですが、あれはヤギを放って草を刈るみたいな感じで要は造園の延長なので、見た目は美しいんですけど、そんなにヤギと一体になってる感じがしないジャンルなんです。それとは違うヤギによる除草みたいなのをやっぱり目指したいなと思っています。

 僕が飼っていた最後のヤギは元気だったので、うちの近所を中心に、繋牧(けいぼく)と言いましてロープでつないで草を食べてもらうということを何年もやっていたら、本当に近所から雑草が消えてしまったというぐらい、ちゃんと効果はあるんです。それどころか、一般的なヤギの教科書には「ヤギは雑草だけでは育ちません。ちゃんとした飼料、補助飼料をあげましょう」と書かれているんですけど、そんなことはないんです。うちのヤギは雑草だけ食ってもパンパンに太っていましたから。ちゃんと植生だけ見定めてあげれば、例えばそれが外濠に生えている植生だけでも本来は大丈夫なんです。もちろんどれぐらいの範囲をその1頭に与えるかみたいな割合の問題はありますけど、それさえちゃんと考えていればヤギはちゃんとそこで自活するようになるんですよ。

 それぐらいのポテンシャルはあります。よく「雑草では栄養にならないんでしょう」みたいなことを質問でされるんですけど、人間もそうなんですが、あるエリアの集団は内臓の長さまで変えてでも、食生活や食文化に適応するという性質がありますから。日本人はちょっと腸が長いという話もあるくらいですから。

 だから本当はヤギに穀物なんかを食べさせてはだめなんです。コーンのような牛に食べさせるようなエサを与えてしまうと、どうしても雑草をおなかの中でちゃんと発酵させて栄養にするという能力が薄れてしまう。そういう牧場育ちのヤギたちには雑草だけでは難しいでしょうが、はなから外で雑草を食べて育ったヤギたちであれば大丈夫なんです。ヤギはもともとそういう生き物で、草食動物の中でもかなり高度な反すう動物なので、内臓の構造がかなり特別な仕様になっているんです。だから本来は雑草でも大丈夫ですし、過酷な環境であろうと植物さえあれば乗り越えていくポテンシャルは持っていると思いますよ。

 そういう動物に対して密着していたり、今みたいに離れていたりみたいなことを行ったり来たりしているような人生ですね。たぶん僕はそういう立場の人間です。

(後編に続く)

ヤギ研究家:塚原正也 さん
北海道での農業経験から人生が一変。「百姓とは百の仕事」をモットーに、毎年仕事が変わるほど流され続ける人生を歩んでいる山羊研究家。都会で農家→空き地の除草→なぜか建築。元山羊チーズ職人、人工授精師(山羊)。

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